斗米庵のこだわり

斗米庵のこだわり

HOME < 斗米庵のこだわり

HOME < 斗米庵のこだわり

錦市場

当店(斗米庵)は、「錦(にしき)」の愛称で呼び親しまれ多くの買い物客で賑わう京都錦市場商店街のほぼ中央に位置しています。錦市場は、京都の目抜き通りである四条通の一本北、錦小路にある商店街です。赤緑黄の色鮮やかなアーケードに覆われた石畳の道の距離は、東西390メートル。魚、京野菜といった生鮮食材のほか、乾物や漬物、おばんざい(京言葉で日常の惣菜のこと)等を商う老舗や専門店が約130店舗も軒を連ねています。

錦市場は、延暦年間(782年-806年)に、豊富な地下水を利用して京都御所へ生鮮な魚を納める店が集まったのが、その起こりだと言われています。元和元年(1615年)に江戸幕府より魚問屋の称号が許され、その後魚市場として栄えました。

錦市場の東の端は新京極と交差し、その先には「錦の天神さん」として親しまれる錦天満宮があります。境内に地下30数メートルより湧き出る「錦の水」の井戸があり、飲用に適する良質の御神水として自由に持ち帰ることができます。当店(斗米庵)の玄関前には池泉を設け、汲み上げた地下水*を使用しています。ご来店の際には、錦市場の発展を支えた地下水「錦の水」に思いを馳せてみては如何でしょうか。
*池泉に使用している水は飲料用ではございません

錦の名水

京都の中心地は、三方を山に囲まれた盆地。山から流れ出た水が平地で地下へと染みてゆき、その特有の地形が巨大な水がめとなって、京都盆地の地下には良質な水が豊富にたたえられていると言われています。

錦に湧く地下水は、夏でも冬でも水温は15℃~18℃とほぼ一定に保たれています。かつて井戸水自体が非常に貴重であった時代に、錦市場の各店には「降り井戸」という、地下水を利用し生鮮食材を保存する、今でいう冷蔵庫のような仕組みがありました。現代でも、錦市場の多くの店舗が、地下水を引き込み、様々なかたちで利用しています。

錦市場の発展を支えたこの地下水は、「錦の水」の名で知られ、京都を代表する名水のひとつに数えられています。錦の水は、くせのない軟水で、大豆のうまみを引き出す作用があると言われるほか、昆布の出汁(だし)をとると繊細な味わいの出汁になります。錦市場には、魚をはじめ、豆腐や湯葉、麩、漬物など、水に関わりがある食材を扱う店が多い所以です。

当店(斗米庵)で供する京料理は名水「錦の水」を使用しており、特に「錦の名水」でとった一番出汁の椀物は「まろやかで滋味深い」と大変ご好評をいただいております。

錦の食材

京都盆地は、昼夜の気温差が大きく、豊富な地下水にも恵まれていることから、栄養価の高い、良質の野菜の生産に適しているとされ、平安時代から盛んに野菜の栽培が行われました。また朝廷や寺社へ献上する野菜が全国各地から集まり、更にそれらの野菜を品種改良し、九条ねぎ、伏見とうがらし、鹿ケ谷かぼちゃ、万願寺とうがらし、京山科なす、賀茂なす等、味の優れた様々な「京野菜」が誕生。宮廷料理や社寺の精進料理、町衆のおばんざい等、野菜中心の豊かな和食文化が育まれてきました。

約1200年の歴史を持つ錦市場では、これら京野菜はもちろん、京都の旬の食材や鮮魚から、京漬物、湯葉、佃煮、蒲鉾(かまぼこ)、豆腐、干物、乾物、茶、菓子に至るまで、京都独特の食材を、ほぼ揃えることができると言います。市民生活と密着しているのが最大の特徴でもあり、錦市場は「京の台所」と称されています。また、食材の品質の良さや豊富な品揃えが支持されて、錦市場は長きにわたり、板前さんやプロの料理人が食材の買い付けに訪れる場所であり続けてきました。良質の食材が豊富に揃う、そのような「卸業」の文化こそが、錦本来の姿と言えるかもしれません。

当店(斗米庵)では四季に応じて厳選した錦の旬菜・旬魚を使いこだわりの京料理を供します。

伊藤若冲と錦市場

伊藤若冲(1716年-1800年)は、錦市場の青物問屋「枡屋(ますや)」の長男として生れ、父の死去に伴い、二十三歳で四代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名。しかし若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったと伝えられ、四十歳で弟に家督を譲り、自身は画業に専念していきました。宮内庁三の丸尚蔵館蔵の「動植綵絵(どうしょくさいえ)」のような鮮やかな色彩の着色画のほか、水墨画も数多く描き残し、特に鶏を描くことを得意としました。写実と想像を巧みに融合させた個性的な作風を生み出し、曾我蕭白(そがしょうはく)、長沢芦雪(ながさわろせつ)と並び称せられる「奇想の画家」として知られています。

若冲の絵に野菜や果物が多く描かれているのは、青物問屋の息子として生まれた境遇が関係していると言われています。例えば、佐野市立吉澤記念美術館蔵の「菜蟲譜(さいちゅうふ)」には、蕪(かぶ)、大根、蓮根(れんこん)、茄子(なす)、南瓜(かぼちゃ)等が描かれ、野菜だけではなく、柘榴(ざくろ)、蜜柑(みかん)、桃といった果物までが描かれています。また、京都国立博物館蔵の「果蔬涅槃図(かそねはんず)」では、釈迦の入滅の様子を描いた涅槃図になぞらえて、中央に大根が横たわり、その周辺には、大根の死を嘆くさまざまな野菜や果物たちが描かれています。

現在、錦市場の西の端、かつて若冲の生家のあった高倉錦小路の南東角には、鶏図に「伊藤若冲生家跡」と記された表示塔が設置されています。

店名「斗米庵」の由来

当店の名前「斗米庵(とべいあん)」は、錦市場に縁の深い絵師・伊藤若冲の別号に由来します。「斗米庵」とは「作品一点を米一斗と定める」という意味です。晩年の若冲は、斗米庵や米斗翁と称して、画一枚を一斗の米に換える暮らしぶりであったと伝えられています。

絵師として有名な若冲ですが、近年、新たな史料等の発見により、若冲は町政に関わりある人物でもあったことが知られるようになりました。京都大学文学部蔵の「京都錦小路青物市場記録」によると、明和九年(1772年)、商売敵の策謀により、奉行所から錦高倉四町(帯屋町・貝屋町・中魚屋・西魚屋町)の青物立売市場の営業停止を言い渡される事件が発生。当時帯屋町の町年寄を務めていた若冲は青物立売市場の再開場交渉で中心的な役割を果たしたことが記録され、安永三年(1774年)にはついに奉行所において、錦高倉青物立売市場として再開場を認められるに至ります。

現在では多くの観光客が訪れる錦市場ですが、長きにわたり京の料亭の味を支え、目利きのプロを唸らせる食材の宝庫として、「卸業」を中心に発展してきました。この錦本来の姿を多くの人に知って頂きたいという想いで出店した私たちは、江戸時代に錦市場の閉鎖という危機を救い「京都錦市場 中興の祖」とも称される伊藤若冲にあやかり、その別号「斗米庵」を店名と致しました。

料理長 鮫島

料理長 鮫島 誠(さめしま まこと)

高校卒業後、当時「ふじ田」で料理長であった佐々木浩氏(現在の「祇園 さゝ木」主人)の元で修行、以降、ホテル、旅館にて料理人の経験を重ね、「祇園 さゝ木」として独立された佐々木浩氏の元へ。約3年、「祇園 さゝ木」にて料理人を務めた後、滋賀県近江八幡市にて日本料理「言葉」をオープンし、独立。約10年間、日本料理「言葉」を経営した。平成29年から再び「祇園 さゝ木」 佐々木浩氏の元で修業を開始。「祇園 さゝ木」、「祇園 楽味」での経験の後、新規プロジェクト「京都錦市場 斗米菴」に料理長として参画。

トップページに戻る

トップページに戻る